久々に、土曜の晴れマーク。
ツイ友さんに教えて貰った、県道76号から秋山街道に抜ける裏道を試してみようと出発。
寝坊して(えっ?その台詞は聞き飽きた?)、8時に出発。
とりあえず、津久井湖まで走って、おにぎりと、なんたらパンを(○`〜´○)モグモグ
ん?
あれ?
ボトル忘れてきてんぢゃん!
ポカリを3/4程入れて、冷凍庫に入れ、今朝、残りの1/4足して、テーブルの上に置いて....
そのまま出てきちゃいました(×_×;)
「のお、福富よぉ。そのボトル、1本譲ってくれんかのぉ?
トラブルなんぢゃぁ、勝たにゃぁいけんのぢゃ~~、地元なんぢゃぁ~~、期待されとんぢゃ~ぁ」by 呉の闘犬(弱虫ペダル)
背中にこれまた凍らせたハイドロパック背負ってるんで、コンビニでポカリ買うまで(それ以降も)何とかなるぢゃろ?
道志みちに入り、青野原のセブンイレブンで、トイレとポカリ購入。
すぐ先のちっちゃい交差点を「バカンス村方面へ右折。
道志ダム経由でなく、県道76号への近道?
途中の電光掲示板に、「ダム放流中」の文字が。見たいけど、今日は、道志ダムには行かんのだよ。
すぐに亀見橋。下流にバカンス村?キャンプ中?
上流!。いいね、道志川の渓流。
近道!?と思って、こっち来てみたけど、結構なアップダウン。素直に道志ダム経由で行った方が良かったかしらん?
途中、またまたチェーン落ちして、フレーム傷つける。凹む。なんのためのチェーンドロップキャッチャーぢゃ?
県道76号に出たら、道志みち側に少し戻る。
トンネル過ぎたら右折。
坂あるとは聞いてたけど、結構な急坂!
山之神神社?
間違えた!さっきのは1個手前のトンネルだった。
戻って、もひとつトンネルくぐって
あったあった、これこれ。
でも、「この先 通り抜けできません」看板。
どんな状況か、行ってみよう。
探検、探検。
ダメなら戻ればヨシ。
途中、何枚か、「○○m先 工事中」の看板に「休工中」のステッカー。
あっ、これね。
工事してたら、自転車は引き返せるけど、車はUターンできないから入って来ちゃダメよ。
ってか、この先、車は走れそうもない状況。
うっほ!潜水艇必要?
当然、自転車は降りて、水の中を押して行きます。
暫く走っていく。
基本、下り基調。
T字路に突き当たる。左は「通り抜けできません」看板なので、右折。
(左折したら道志みちに戻っちゃうし)
どんどん行く。
少し上りに入って、スマホでルート確認。
手前で、近道ルートあり。
戻る。下る。その近道、登山道だったら、今下ってるこの道、また上るのやだな。
ぉお!これか?
「この先650m 前川橋 歩行者及び自転車専用」とある。
アドベンチャー感満載。
(よい子は行っちゃダメよ)
前川橋到着!! 木の吊り橋。
なんか、色々書いてある。
興味のある方は、クリック拡大で読んでね。
橋の入り口には「通行制限」看板が。
自転車および歩行者専用と。
一度に渡れるのは10人までと。
なかなか風情ありますなぁ、木橋。
橋の下は、例によって、渓流。
涼しげ~~~~。
そのまま進んで、程なくして秋山街道(県道35号、四日市上野原線)。
左折して、すぐ山梨県上野原市。 ♪
秋川街道、車少ないし、道は広いし走りやすい~~~。
ちょっと、便意を催してきたけど、ずんずん走っていくと、「秋山公衆トイレ」の看板。
広い駐車場と割と綺麗なトイレ。
この時点で、パラパラ来ちゃった。
ここでトイレ&休憩。大和市からのチャリダーさんとちょっとお話し。
相模原市との県境と、雛鶴峠との真ん中位かな?
行きます。
前回は閉まってた「王の入りまんじゅう」さん。
今日は開いてま。
酒まんじゅう(150円)いただく。
椅子があったんで、腰掛けて食べてこう。
あらら、お茶まで出てきたよ。ありがたいねぇ。
と ...お野菜の漬け物やら煮物やら....
恐縮しちゃう位だよ。
ご馳走様でしたぁ。
雨も上がって...
気持ちのいい道路を走っていきますよ~~。
雛鶴神社に着きました。
お参りしていきます。
ゆっくり休んで、出発。
雛鶴トンネルまでは、そう遠くはありません。
新雛鶴トンネル到着
標高:649m
このトンネルを抜けたら、リニアモーターカーの試験場。
ずっと下っていきます。
ちょっと下ると、ここにも「雛鶴神社」入口の案内板が。
650m先とあります。
砂利道なので、自転車を置いて、歩いていきます。
(車は行けそうです)
何故、雛鶴神社がふたつあるのか?は調べてあります。
興味ない人は次の写真まで読み飛ばしてください。
時は鎌倉時代末期。
後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう)ど、その側室・雛鶴姫(ひなづるひめ)の激しくも哀しい夫婦愛の物語。
かなり端折りますが....
謀反の罪を着せられ、足利直義に捕らえられ、鎌倉に幽閉された護良親王に会うため(助けるため)、身重の体で、京よりやってきた雛鶴姫。
しかし、その到着を待たず、護良親王は斬首され、その首は竹藪に捨てられてしまいました。
雛鶴姫とその一行は、その首を探し出し、親王を手厚く葬おうとその首を抱え、わずかな供を連れて決死の逃避行。
体調もかなり崩してた雛鶴姫は津久井で暫く療養。
その後、京を目指すも、山梨県、今の雛鶴峠手前(今の無生野)で産気づき、近くの民家に助けを求めるも、助けたことで足利氏の咎めがあるとまずいってんで、どこの家もこれを拒否。
仕方なしに、師走の12月29日寒空の下、今の雛鶴神社(上野原側)辺りにわらを敷き、何とか出産するも、死産(赤子はこの地で何歳まで生きたとか諸説あり)。
さらに、なんとか峠を越えるも、今の雛鶴神社(都留側)辺りで、1月2日、雛鶴姫も息絶えた。
悲嘆に暮れたお付きの二人も、ここで自害。
後に、村の人々によって、皇子の亡くなられた峠手前と、姫の亡くなられた峠の向こうに神社を建立し、祀った。
峠の向こうの神社には、お付きの二人を祀るため、「お供の松」が植えられた。
因みに、姫が息絶える時に発した「無情や」がこの辺りの地名「無生野」となったと言われている。
(姫の亡くなられた日や場所も諸説あり)
と、説明も終わり、雛鶴神社に着きました。
お参りしてきました。
湧水も「姫のなみだ」
立てられてる看板を拡大したモノです。
「お供の松」は倒れてしまったようです。
今は根元だけ(T.T)
遠い昔の雛鶴姫に想いを馳せ、ボクの“旅”は続きます。
長くなりましたんで(余計なこと書くから?)、続きは次回と言うことで...
んじゃ (^_-)☆ /~~~
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