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【シリーズ・きっかけはこの1枚】#1+ 音楽にハマると

シリーズ前回のフォークソングを聴きまくる毎日に、関連して新たな趣味が2つほどできました。
今回は、ちょいと横道にそれますが、その辺をちょこっと(スピンオフ)。
なので、レコードは出てきません。 
 
 
まず、ひとつは、オーディオ。
それまで我が家にあったレコードプレーヤーはポータブルなもんで、ターンテーブルは17cm。
30cmLP盤ははみ出して...それでも聴けるには聴けたんですが (;´д`)
やっぱ、ちゃんとしたステレオで聞きたいよね。
ってんで、そちら方面にも...

最初のステレオは、山水のフルオートターンテーブル、ケンクラフトのプリアンプキット(部品を全部基盤に自分でハンダ付け)、親戚の叔父さんのウチから貰ってきた真空管モノラルパワーアンプをステレオに改造、そしてヘッドフォン。
スピーカーまで予算まわらず(T . T)
なにせ、アンプ類は自分で作ったんで、果たして音が出るのか?
作ってる時は、最初に聴くレコードは、「モップス 1969~1973」と決めてたんですが、完成&試聴の時はころっと忘れてて...
あんれ?左からしか音がきこえてこない...
兄に聞いて貰うと「ちゃんと聞こえてるよ」と...
最初にかけたレコードで聞いたのは「東へ西へ」
最初の数秒は陽水のアコースティックギターが左から聞こえるだけだって初めて知った。www

こうして、フォークソングをステレオヘッドフォンで聴く毎日。
 
次はまずはスピーカー♪
最初はCoral辺りのスピーカーユニットだけ買って、エンクロージャーは自作!のつもりだったけど、流石にこれは大変すぐる。
で、当時の大ベストセラー、ダイヤトーンのDS-251MrakⅡを購入。(かなり無理した)
 
因みに、当時のライバルスピーカーは、YAMAHA NS-670 ってところ。

パワーアンプも真空管からICを使ったモノを自作(回路図は、当時の月刊紙「Stereo」に乗ってたモノ)
 
TEACのオープンリールデッキを買おうとするも高すぎるのと使いこなすのが大変そう。で、アニキの薦めもありカセットデッキ(AIWA)ゲット。
これで、友達から借りたレコードも録音できる。
FMチューナー(AMの付いてない安いモノ)も手に入れて、FMエアチェックが始まったのは高2の冬。
↑この頃は、このシリーズ#2のジャンルを聴き始めてた。
 
アンプもTRIOのプリパワーアンプに交換。
 
#3のジャンルの頃に、
ターンテーブルをDENON DP-50M に。
カートリッジは幾つか買い替え、最後はNHKでも使ってるというとDENONのMCカートリッジ DL-103
 
このコンビは、つい半年位前まで現役で活躍。
残念ながら今は回転数制御が壊れてしまって、暴走ターンテーブル(;>_<;)

#4のジャンル聴いてる頃に、FMチューナー(Victor→Sonyだったかな?)とカセットデッキ(Sony)買い換え。
 
 
こうして、小遣い、お年玉やバイトの金をレコードとオーディオに注ぎ込んで、いい機器に買い換えること、約10年。
就職して、やっと予算に余裕が出来、CDデッキも手に入れて、続いて他の機器もいいの買えるぞ〜と思ったら、現場住み込みでプレハブの狭〜い部屋をあてがわれ、引っ越しに次ぐ引っ越し...
アンプ、スピーカーをちっちゃなお安いモノにグレードダウンで、
この趣味終了 ( ̄O ̄;)
 
 
 
もうひとつの趣味は、フォークソングを聴き始めた若者が陥る趣味。
ギターを欲しくなり
それまで親にあまり高価なものは買ってもらった記憶はなく(MAX3,000円位)、ダメ元で言ってみたらOKとのこと。
友人のWも買ってもらえるとのことで、二人で御茶ノ水イシバシ楽器に行きましたとも。
Wは安定のモーリスを購入。
ボクが選んだのは、Greco!
えっ?生ギターじゃないの? Grecoって、エレキギターのメーカーでしょ?
ハイ、生ギターです。
生ギターも作ってるんです。
Grecoを選んだ理由は...ネックが細かったから。
ボク、手、ちっちゃいし。
 
 
レコードとラジオを聴き、ギターを弾く毎日。
勿論、弾くのは陽水 ♪
断絶〜氷の世界くらいまでの歌はほぼ歌詞も覚えて歌えたくらい
(スゴイ記憶力!今はカケラもない)。
学校に行けば、拓郎のファンもいて、ボクはといえば陽水の話ばかり。
いつしか、学校内で一番陽水に詳しい男となる (゚o゚;;

陽水に出会って1年ちょい。
中3の秋、ギター弾き、ピアノ弾きが集まってなんやかややってる時持ち上がった話し。
「文化祭出ない?」
どういういきさつでそうなったのか覚えてないんだけど、出ることになりました。
キーボード(ピアノとピアニカ同時弾き)1、フォークギター2、エレキギター2、ボーカル1。もうむちゃくちゃな編成。
 
曲目は、「我がよき友よ」(だったかな?)「夢の中へ」「東へ西へ」「あの素晴らしい愛をもう一度」
文化祭担当の美術教師には「減らせ!」と言われたが、強硬突破。
 
「東へ西へ」のイントロ部だけボクが一人で。
たまたま、母が見ていて...
元来、息子の文化祭に行ってみるなんてしない両親ではあったけど、たまたまその年は、母が父母会の委員長かなんかやってて、剣道部の都大会(ウチの中学の剣道部は市の大会は何連覇もしてた強豪)にも行っていたので、文化祭も見にきていたのですが。
家では文化祭の話などしないボクだったので、母の隣にいた人に、「あれ、おたくの息子さんじゃ?」と言われ、ビックリ仰天!?
 
 
 
それまで、なんの取り柄もない超存在感のないダッサイボク「ギターの弾ける子」という肩書付きで覚えられる様になった出来事です。
田舎の遅れた中学なんで、あんな下手くそでも結構な反響で、文化祭担当の美術教師は「フォークソング部を作る!」なんて鼻息荒かったですが、その先生、大っ嫌いだったんで完全無視。
 
 
その後も、放課後、適当な空き部屋にメンバーで篭って、やれ、拓郎だ!陽水だ!かぐや姫だ!とみんなでガシャガシャ。
 
いつも悪いことばっかやってた連中も、学校の帰りにウチに寄って「ギター弾かせてくれ」とか。
その中の一人はいまだに「オレのギターの先生はOちゃんだ」とか。
(昔はOちゃんと呼ばれてましたが、時を得て、髭が生えて、今の友達にはQちゃん)
 
 
翌3月に、謝恩会で、も一度ステージに上がって、このバンド?は解散して卒業。
 
 
高校に進んだボクは、高校が家から遠かったり、クラブ(運動部)に忙しかったり疲れたりで、あんまり弾けなくなっちゃったてこともあるけど...
ギター弾けるなヤツなんて、そっこら中にいて、ボクのギターなんて、とても人様の前で弾ける様な腕ではないことを悟り、以後、高校の同級生には「ギター弾ける」とか、まして「文化祭で弾いた」なんて口が裂けても言うまいと決意。
当然、人前でギター弾くなんぞ、以ての外。

 
とはいえ、フォークソング熱が覚めたわけではないので、時間はがくっと減ったけれど、一人部屋に篭ってはレコード聴きギターを抱えるという日々は続くのであった、人知れずだけど。
 
この秘やかな楽しみのひとつとして続けていたのが、“なりきり陽水”(・・;)
陽水がアルバム「氷の世界」の録音のためロンドンに行った時に買ったギターがギルドと知ると、同じ形のピックガードを買っては貼り替え、写真を見て同じ型のカポやストラップを物色し、お茶の水までカワセの弦を買いに行き..
 
(写真の様に、まだ現存しています、弾けます、ボクは弾けません)

後は、スタンドマイクとパイプ椅子が揃えば、八王子市民会館での陽水コンサートが再現できたのに( ̄O ̄;)
おっとハーモニカ(ブルースハープ)も習得しなきゃ、陽水再現はできないですね。

 
自分の部屋以外での“フォークソング”活動といえば、居間でTVを観ることくらい?
 
当時、TV神奈川(今のTVK)で「ヤングインパルス」という番組があって、前回記述の、とみたいちろう、遠藤賢司、佐渡山豊、生田敬太郎、友川かずきetcはこの番組で知りました。
陽水も出てましたね(年末のリクエスト大会で見たのですが)
「もしも明日が晴れなら」の歌詞がだいぶ違ってました。
 
ある日、この番組で初めて聞く様な音が聴こえて参りまして...

それが、ボクの“脱フォークソング”へのきっかけとなりまして...
 
 
次回は、次のステップに進む、きっかけのあの1枚です。
んじゃ (^_-)☆ /~~~

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